2016年3月11日

文化の根底に風土 新しい建築・都市・土木を生む/建築家 内藤廣


■生存を賭けた個性的な戦略を
 いまはまだ未来を展望するには早すぎるような気がします。福島は先が見えない日々が続いています。三陸の復興はいまだ現在進行形です。昨年12月の岩手県のデータでは、復興まちづくり事業の5割程度が達成されたに過ぎません。まだ道半ばです。取り組みしだいで、吉と出るか凶と出るか微妙な時期にあります。市街地の建設はほとんどの市町村がこれからであり、どれだけの人が街に戻ってきてくれるのか、いまからが正念場でしょう。
 被災地の多くはただでも人口減少が著しい場所でした。一昨年1月、岩手県の大槌町は他の市町村に先駆けて人口予測を公表しました。それによると、5年後くらいに屈曲点があり、そこから先は全国平均を遙かに超える速度で人口減少が進み、2040年には被災前の半分にまでなる予測です。
 委員会の席で、ある地元委員から、そうならないために委員会をやっているのではないか、どうすればそうならないか教えてほしい、と詰問されて返す言葉がありませんでした。街づくりが進まなければ、そして未来への希望を提示できなければ、さらに減少傾向が加速されるでしょう。だからこそ知恵が必要なのです。しかし、目の前の現実は、防潮堤、高台移転、区画整理事業、といった紋切り型の復興のメニューでなされています。国主導による復興という巨大な歯車が、止めようもなく回り続けています。
 どの市町村でも同じようなことが起きてくるはずです。だからこそ、これまで以上の工夫がいるのです。紋切り型の復興モデルに乗っただけの市町村は、数年後に復興事業が終わった段階で厳しい現実を突きつけられるはずです。その街なりの生存を賭けた個性的な戦略を見いだしてくれることを祈るばかりです。
■「張り子の虎」の危うさ忘れずに
 被災後の2011年4月から岩手県の津波防災技術専門委員会という長い名前の委員会の委員を務めています。防潮堤の高さを決める委員会です。この間、16の委員会の委員になりましたが、わたしの知る限り被災後もっともシビアな委員会でした。隣の席は津波がご専門の東北大学名誉教授の首藤伸夫先生でした。わが国における防潮堤のそもそもの歴史から、三陸の津々浦々の事情にまで精通されている先生の発言はどれも貴重なものばかりでした。わたしは2年近く、隣の席で先生から津波の特別授業を受けたようなものです。みなさんにも知っていただきたいのでその一端を書きます。
 首藤先生が繰り返し述べられていたことは、今でも脳裏を離れません。「津波は個別的である」「同じ津波は来ない」、震源域や到達角度によってまるで振るまいが変わるのです。到達時間も変わります。
 また、「メンテナンスされていない防潮堤は張り子の虎だ」とも言われていました。防潮堤は表面をコンクリートで覆っていますが、中は土です。長い年月の間に、見えないところで内部の土が流出したりすると、防潮堤は張り子の虎になってしまう。容易に破壊されてしまうのです。
 20mを超えるような巨大な津波は、数世代をまたぐ長い歳月を経てやってきます。寺田寅彦が言ったように、天災はわすれたころにやってくる、のです。巨大津波を完全に防ごうとすれば、20mを超える長大な防潮堤を築かねばならなくなります。一方で、これを数世代もの歳月をかけてメンテナンスし続けねばならなくなります。そんなことは不可能です。
 結局、仕方なしに便法としておおよそ100年周期の過去2番目の最大津波(通称L1、level 1の略)ぐらいは防ごう、ということになりました。妥協の産物です。いまでも地元住民の方から、防潮堤なんていらないんじゃないか、という話はよく聞きます。しかし、委員会で地元自治体の意見を聞いたときには、ほとんどの市町村が、完全に防げる防潮堤をつくってほしい、とかなり強硬に要望した経緯があります。防ぎきる、防いだつもりになる、というのは誤りだ、という首藤先生の発言の多くは、その際に語られたことです。
 一方で、いざ防潮堤が出来上がってくると、その巨大さから関係者の多くは完全にこれで防げる、という気持ちになってきています。とりあえずの便法だとしてあれだけ喧伝したのに、わずか数年で人々の気持ちが風化してきているのです。100年は長い。この歳月の間には、まったく異なる認識になっているのでしょう。寺田寅彦の言葉は生き続けるのでしょうか。
■パール・バックの絵本の教え
 建築や都市にもつながるきわめて本質的な問いかけがここにはあります。結局は自然に対する考え方の問題なのです。自然に対して畏敬の念を持ち、それと付き合うように人の営みをつくり上げるしかないと思うのですが、現代はそれでは用が足りない、というところに深い矛盾が潜んでいます。
 一番良いのは、津波が到達しない山側に住むこと、災害に合わせて街をつくること、災害に備える生活ノウハウを蓄積すること、長い年月津波の恐ろしさを伝えていく防災文化を育てること、これしかありません。これも首藤先生からの受け売りですが、これらのあらましは、100年前の明治三陸大津波の後に出された文部省の通達の中にすでに書いてあります。それが生かされなかっただけのことです。人は忘れ、同じことが繰り返されるのです。
 一方で、これを地域に生きる諦念や死生観ととらえることもできます。岩手県北部の野田村との付き合いが続いています。ある日、村長の小田さんと長い時間打ち合わせした後、村長が天井を見上げて、われわれはこうやって生きてきたんだよなー、と言われたときのことが忘れられません。こうやって、とは、海の恵みをいただきながら、時に被害に遭いながら、ということでしょう。海とともに暮らそうとすれば、海に近いところに住みたい、というのが人情です。人は忘れながら、こうやって、生きていくものなのかも知れません。
 『大地』という長編小説を書いたノーベル賞作家のパール・バックが、『つなみ THE BIG WAVE』という題の絵本をつくっています。彼女は日本で暮らしたこともあり、明治三陸の津波を題材にそこにたくましく生きる子どもを描いています。その見方は野田村の村長の感慨につながるところがあります。
■復興の「三種の神器」への私見
 復興の三種の神器は、防潮堤、高台移転、被災した市街地の区画整理事業、この3つです。すでに動いてしまっている現状を批判するつもりは毛頭ありませんが、今後に生かすためにも私見を述べておきたいと思います。
 先にも述べたように、防潮堤は巨大津波以外の津波を防いでくれるでしょう。防集(防災集団移転特別措置法)による高台移転、これも必要なことです。でも場所によっては無理があります。適地が見つからずあまりに海から離れてしまうと、やがて海の近くに戻ってきてしまうでしょう。また、移転する方の多くは高齢者です。街から遠くなりすぎると問題です。難しいことも増えてくるはずです。そして、20年後、30年後、かなりの開発費でつくったその団地がどうなっていくのか心配です。
 最大の問題は区画整理事業です。後藤新平が指揮を執った関東大震災後の復興事業も、石川栄耀が指揮を執った第二次世界大戦後の戦災復興事業も区画整理事業でした。大きな災害があると区画整理事業、ということが定番になっています。しかし、これはおおいに疑問です。
 区画整理事業というのは、行政的な手品のようなものです。簡単に言えば、散らかった市街地の土地を整理整頓しましょう。整理すると土地の値段が上がるので、その分だけ再配分する土地を少し小さくしてもらうと残余地が出てくるので、これを道路や公園などの公共に提供しましょう。こういうシナリオです。つまり、土地の値段が上がることが事業の前提なのです。人口密度が高い市街地なら分かりますが、人口密度が低くさらに人口減少が予測される被災地の埋め立て造成で、はたして成立するものなのでしょうか。
 さらに土地関係の権利を調整するのに多大な労力を要するので、合意形成に時間がかかります。普通の市街地でも数十年掛かることもあります。つまり、平時の街づくりには適しているかも知れませんが、最短の年月で対応を迫られる非常時には問題があります。これしかないので、やむを得ず使われた制度的な道具なのです。
 三種の神器は矛盾だらけです。そもそも、高台移転で人口密度を減らした市街地を、完全に防ぐとは保証しきれていない防潮堤で守っているわけです。防潮堤はいったい何を、そして誰を守っているのでしょうか。これから起きてくる東南海大地震や首都直下大地震、さらには火山噴火などの大災害に備える意味でも、非常時に対応するための法の陣立てを、つまり次世代に渡す「新たな三種の神器」を用意することが急務だと思います。
■「引き波に備える」ということ
 「引き波に備えよ」という文が2011年5月の『新建築』に掲載されました。とても説得力のある文章でした。書いたのは東北大学准教授の本江正茂さん。本江さんが訴えたのは物理的な「引き波」のことではありません。人々の関心、建築や都市の専門家たちの関心、とりわけ都会の人たちの関心が遠のいていくことへの警鐘でした。引き波は速いのです。瓦礫が取り除かれるに従って、「被災の風景」から「復興の風景」へと変わっていきます。津波の記憶も遠のいていきます。まさに、本江さんが危惧したとおりのことが起こりつつあるのです。
 この列島は、豊かな自然に恵まれていると同時に、常になにか起きてくる場所です。自然の恩恵に感謝しつつ、その恐ろしさも気持ちの奥底にわきまえておく必要があります。まだ防災に対する有効な技術を持ち合わせていなかった先人たちは、それを文化の中で昇華させてきました。われわれは近代的な技術や制度を手に入れましたが、それには限界があります。人々の暮らしとともに在るのが建築・都市・土木です。風土とともに生き、風土に対する深い理解を文化の根底に据えることが減災につながり、未来を切り拓く糧となるはずです。このことが、わが国独自の、そして世界に誇りうる自然とともに生きる建築・都市・土木の新しい姿を生んでいくはずだと信じています。